幻の染・辻が花の着物とは?復刻の歴史や特徴、代表作家や美術館を紹介

幻の染・辻が花の着物とは?復刻の歴史や特徴、代表作家や美術館を紹介

あなたは「辻が花」を耳にしたことはあるでしょうか?
「辻が花」とは、染めの技法の一種です。
全く聞いたことがないと、何のことだか分からず戸惑ってしまうでしょう。

「辻が花ってどんなもの?」
「他の染めの技法と何が違うの?」
「幻の染って、どういうこと?」

この記事では、幻の染と言われている辻が花に焦点を当てて解説していきます。歴史的背景や特徴、辻が花を見ることができる美術館の情報など、辻が花の魅力を説明していきます。
辻が花とはどんなものでしょうか。是非最後までご覧ください。

幻の染・辻が花とは?

辻が花とは、室町時代から安土桃山時代にかけて現れた絞り染めの技法のことを言います。
主に縫い取り絞りや帽子絞り、桶絞りなどの絞り染めの技法を駆使して制作されます。さまざまな絞りの技法を駆使することで立体感が生まれ、絵画のような独特の美しい風合いを持つ着物になっていくのです。
また、現存する当時の作品が300点ほどしかなく、とても希少性が高いものとなっています。そのため、辻が花は「幻の染」と言われているのです。

『辻が花』『辻ヶ花』の名称と由来

ところで、辻が花という名前はどこから来たのでしょうか。
調べてみると、15世紀ごろの文献に初めて辻が花という名称が現れます。

14世紀末から15世紀初めにかけて成立したとみられる絵巻『三十二番職人歌合』には、「桂女」の詠歌として「春かぜに わかゆ(若鮎)の桶をいただきに たもともつじが はなををるかな」とあり、これが「つじがはな」の語の初見とされている。この絵巻に描かれた桂女は、上着の長い袖を折り返して着用しているようにみえ、これが「つじがはなを折る」を図示したものとも言われている。
引用元:Wikipedia 辻ヶ花

桂女が辻が花の小袖を着ていたという記述がありますが、これが語源であるかはわかっていません。
辻が花の名称に関しては不明なことが多く、現在に至るまで立証されていないのです。
ただ、

模様が旋毛(つむじ)の生えた様に似ているから、という説。
つつじが花が略されたものという説。
辻=十字路という意味で、これも模様に似ているからという説。
模様と模様の間を[辻]というのだが、それと関係があるという説。

この四つの説が有力ではないかと言われています。
この謎も、辻が花の魅力のひとつと言えるのではないでしょうか。

友禅誕生前に一世風靡した染色技法『辻が花』

辻が花の誕生は、室町時代後半から安土桃山時代末ごろと言われています。
初めは麻生地に簡単な模様を絞って単色で染めていただけでした。やがて、地の色と模様をそれぞれ別の色にする多色染め着物になり、より複雑な模様へと発展していきます。
更に時代が進むと絹にも染めるようになり、絞って白く染め残った花や葉の花びら1枚1枚に墨で縁取りをし、ぼかしを加え、おおらかな絞り染のなかに繊細な表現が加わりました。
室町時代後期になると、金箔、銀箔や刺繍がほどこされ、より豪華な着物に変わっていきます。
辻が花というと女性の着物のように思いますが、当時は男性の着物にも多く使用されていました。戦国武将達の小袖や羽織、胴服(どうぶく)など、数多くの辻が花が制作されました。
現存する作品では上杉謙信、豊臣秀吉、徳川家康などの遺品があり、武田信玄は辻が花を着用している肖像画が残っています。
女性では、浅井長政の妻であるお市も辻が花の小袖を着用している肖像画があります。お市の兄である織田信長も着ていたはずですし、お市の娘たち(茶々、初、江)や、細川ガラシャなど、この時代の人は皆辻が花を身にまとっていました。

辻が花の復刻に尽力した意匠たち

染色としての確固たる地位を確立していた辻が花ですが、江戸時代に入ると急激に衰退し、やがて消滅してしまいました。
友禅染という新しい染めの技法が確立されたためです。
技術を継承されていなかったため、辻が花の復活は不可能と言われていました。
やがて、なんとか再現しようと尽力を尽くした職人たちが現れ始めたのです。現代でも有名な染色家である彼らは、如何にして辻が花を世に復活させたのでしょうか。

完全再現不可能といわれる『当時の辻が花』

室町時代ごろに大流行した辻が花は、現在でも再現不可能と言われています。
理由は当時の染料や生地などの原材料が大きく違うことと、またそれらの材料が入手しづらいことにあります。
まず、当時は草木を煮出して作った染料を使う草木染めで染めていました。また、生地が今よりずっと薄く、更に木綿糸が無かったため、麻糸で絞って制作していました。現在、完全な再現を試みても、化学染料も木綿糸も使えないため、それは気が遠くなるような作業になるのです。
当時の職人は、現代よりも高度な技術を持っていたと言っても過言ではありません。

スミソニアン博物館に展示された世界的染色工芸家『久保田一竹』

やがて昭和に入り、辻が花を再現させた職人が現れました。
久保田一竹は、昭和から平成にかけて活躍した染色工芸家です。
1917年、久保田一竹は東京の神田に生を受けます。
手に職をつけるために友禅師の小林清に入門し、大橋月皎や北川春耕のもとで、人物画・日本画を学びました。
20歳のとき、東京国立博物館で室町時代の「辻が花染め」の小裂に出会ったことがきっかけで辻が花の復刻に携わることになります。
ですが、1944年、27歳で太平洋戦争に召集され出兵します。敗戦に伴い捕虜となり、シベリアに抑留されていました。抑留中であるにもかかわらず、防寒具の毛で筆を作って絵を書くなどの修練は怠らなかったそうです。
そして1977年、初めて自身の個展を開催します。また1990年には、フランス芸術文化勲章シュバリエを受章するなど、辻が花の名を世界に広める立役者となりました。
さらに1995年には、作品の一部がアメリカ合衆国にあるスミソニアン博物館にも展示されました。存命の作家の作品がスミソニアン博物館に展示されたのは、これが初めてのことです。

染織文化財の復元に携わった染色家『小倉淳史』

そしてもう一人、辻が花の復刻に携わった職人がいます。
小倉淳史は、130年以上の歴史を持つ染織工芸の家に生を受けました。幼いころから着物や染色に親しみ、14歳の時に初めて自身の作品を制作します。
1984年、NHKの依頼により国友家所蔵、徳川家康の小袖「亀甲重ね模様辻が花」を吉岡常雄氏と共に復元し、成功させます。
4年後の1988年、NHKの依頼により徳川美術館所蔵、 徳川家康の小袖「 葵紋散し辻が花 」、「 槍梅模様辻が花 」の復元に成功。更に1993
年、お市の方の小袖「 段模様肩裾辻が花 」 画中資料を、切畑健氏の指導により再元するなど、数々の辻が花の復刻に力を注いでいました。
自身の作品制作にも力を入れており、数々の展示会に出展しています。
1998年に紺綬褒章を、2020年に第54回日本伝統工芸染織展文部科学大臣賞を受賞するなど、久保田一竹同様、辻が花の復刻に貢献してきたのです。

現代の『辻が花』という着物

職人たちの手によって復刻された辻が花ですが、室町時代の頃に流行したそれとは大きく異なります。
久保田一竹、小倉淳史両職人がそれぞれ新しい技術を加え、独自にアレンジして発展していった物だからです。
では、現代の辻が花はどんな特徴があるのでしょうか。室町時代の伝統技術と現代の技術が組み合わさって蘇った辻が花について解説していきます。

『一竹辻が花』の逸品

久保田一竹の作品である一竹辻が花は、是非落款にも注目してください。
一と竹を組み合わせてできたとてもシンプルな落款なのですが(一は漢数字、竹は象形文字を使用しています)、初代と二代目で若干の違いがあるのです。
初代久保田一竹は落款が左右対称になっているのに対し、現久保田一竹である二代目の落款は一がやや左側、竹をやや右側にしているため、一見アンバランスになっています。
この違いの意味も知っていると、より一層楽しめるのではないでしょうか。

独自の構図と拘りの生地

一竹辻が花の特徴は、何と言っても絵画作品のようなダイナミックなデザインと華やかさにあります。
どちらかというとアートとしての製作が多く、久保田一竹美術館に展示されている着物は、着るものではなくアート作品として作られています。
また、もう一つの特徴として、コバルトブルーの小さな星が必ず入れられています。これは「一竹星」と呼ばれるもので、シベリアで抑留されていた時に見たオーロラの輝きを表しています。
この輝きを目に焼き付けた久保田一竹は、生きる希望が湧き、それが作品作りにも生かされているのです。
生地へのこだわりも強く、一竹工房別織の特殊三重織の高度な技術で作られた「一竹辻が花特殊生地」という独自の生地が使用されているのも特徴です。
光沢としなやかさが出るように工夫されており、何年経っても縮まず、とても丈夫です。
何度も繰り返し絞り染めを施すため、久保田一竹の作品にはなくてはならないものとなっています。

化学染料を用いた染色技術

一竹辻が花では化学染料を利用しています。化学染料は色を混ぜると分離してしまうために取り扱いが非常に難しく、一般の着物ではあまり使用されていません。
ですが久保田一竹は染料をぬるま湯でうまく調合する方法を見つけ出し、独自の辻が花を仕上げました。
化学染料を利用できるようになったことで、色をコントロールしやすくなり、縫い絞った部分への彩色も容易になりました。今までの常識を覆すことで、現代の辻が花が誕生したのです。

京都府指定無形文化財『絞り染』保持者:小倉淳史

30歳代から重要文化財を含む染織文化財の復元、修理に幾度も携わり経験を積みました。 また毎年日本伝統工芸展に最新の絞り染作品を出品し、どれも高い評価を受けています。
更に、今の日本人女性に似合う辻が花の製作に力を入れており、日々新しい着物を生み出しているのです。
小倉淳史の辻が花の美しさは、文様のバランス、染め残った白の部分と染めた色の対比にあります。「白を美しく魅せるために美しく染める」とも語っています。
2019年には京都府指定無形文化財『絞り染』保持者に認定された小倉淳史は、室町時代の絞り染から現代の染色作品にいたるまで 幅広い知識と技術をもつ、 日本で唯一人といえる染色作家になりました。

翠山『辻が花』

新潟県十日町市に、オリジナルの辻が花を創作している工房があります。
デザインから絞り、染め等辻が花制作の全工程を一貫して行っており、「翠山 辻が花」と呼ばれています。
元々は織物の工房でしたが、昭和になってからは染に転向しました。昭和50年ごろに辻が花と出会い、そこから現在に至るまで辻が花を創作し続けています。

辻が花風模様の着物も人気

現在は本当に色々な着物があり、辻が花風模様の着物も数多くあります。
辻が花との大きな違いは、絞り加工をされていない、という点です。つまり、辻が花の模様を染めただけの着物、ということです。
職人が制作した辻が花は豪華でとても美しいものですが、やはり値段も豪華になってしまいます。その点辻が花風でしたら比較的安価で手に入れられるため、もっと手軽に楽しむことができます。

振袖・袋帯

落ち着いたからし色地に紫色の波文を加え、豪華な辻が花風の模様を染め上げた振袖です。辻が花風ですが、とても華やかで気品があり、晴れの席にふさわしい着物となっています。
辻が花風の袋帯とコーディネートすれば、更に華やかさがアップすること間違いなしです。

訪問着

辻が花風の青藤柄を描いた、デザイナーである桂由美の訪問着です。薄桜鼠色は、一見すると白地に見える風合いとなっています。ブルーの濃淡が非常に美しく、上品にまとまっています。

小紋

辻が花風の小紋は、一見すると派手に見えますが、実際に着ると不思議と馴染みます。
小紋なので、コーディネート次第で落ち着いた雰囲気にも華やかな雰囲気にも着こなせます。

洗える着物

辻が花風の着物は、ポリエステルなどの化繊でも楽しむことができます。
化繊は洗濯機で洗うことが出来るので、より気軽に楽しめます。

海外でも評価された『一竹辻が花』を見るには?

辻が花についてたくさん説明してきましたが、もしかすると実際に作品を見てみたいと思ったり、体験してみたいと思ったりした方もいるのではないでしょうか。
そんな知識欲に飢えている方のために、実際に見学できる美術館、体験工房の情報をお教えします。見たり、触れたりすることで、更に辻が花の虜になることでしょう。

久保田一竹美術館

作品を実際に見るには、久保田一竹美術館に行きましょう。
山梨県の富士河口湖町に建てられており、富士山を間近で眺めることのできるとても美しい場所にあります。
建物はガウディ建築をイメージしており、意外にも洋風な雰囲気となっております。こちらは新館となっており、新館を抜けた先にある本館に一竹辻が花が展示されています。
また久保田一竹美術館は2009年度版ミシュラン観光ガイドで3つ星も獲得しており、満足度は保証されています。
是非足を延ばしてみてください。
入館料については、一般1,300円、大学・高校生900円、中学・小学生400円となっております(2023年1月現在)。開館時間、休館日につきましてはホームページをご参照ください。

辻が花草木染め体験『絵絞庵』

絵絞庵は、京都の洛北にある染工房です。
一目絞り、傘絞り、縫締め絞り、帽子絞り、爆弾絞り等の絞り技法と、墨描きを用い、帯揚げを染めていきます。(体験ができるのは帯揚げのみとなっています。)
体験内容は糸入れ(柄を糸で縫う)→絞り→染め→ほどく→墨描きの順で進めていきます。
作業内容は多いですが、休憩時間にはおいしいお抹茶とお菓子もいただけるので、楽しみながら作業ができます。
完全予約制となっており、現在は帯揚げ染体験コースとご来店予約のみ受け付けています。こちらも詳しくは絵絞庵のホームページをご参照ください。
所要時間は4時間程、 料金は16,200円 (材料費・消費税込・送料別)となっております。
辻が花の体験ができる工房はとても珍しいため、なかなか触れられる機会がありません。京都旅行の予定に、是非辻が花の体験を組み込んでみてはいかがでしょうか。

まとめ

辻が花は一見着る人を選ぶように思いますが、実はどの年代にもとてもよく合います。
時代と共に変化してきたからこそ、どんな人にも似合うのです。
辻が花は全貌が解明されておらず謎に満ちていますが、それを上回る魅力に溢れた美しい着物です。
更に解明されて全貌が明らかになっても、私たちを魅了し続けることでしょう。